大震災 − 8年という「過現未」をおもう

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    過去という言葉は、一体どこからどこまでを指すのでしょうか。

     

    昨日のことなのか、先日のことなのか、何年・何百年前のことなのか。

     

    同じく未来という言葉も、一体いつのことを指して言うのでしょうか…。

     

     

    それぞれが生きるこの現世において、

     

    過去も現在も未来も、実際に「過現未」という言葉があるほどに、

     

    その瞬間をつかまえることなどできようもなく刻々と過ぎつつ、

     

    また予想だにしない現実を目の当たりにし、

     

    そして先の見えない未来を迎えいれて生きる日々…。

     

     

    あれから8年 ー

     

     

    福島の地で、

     

    大震災を経験した一人として、

     

    あの時の想いはこれからも一生涯、

     

    私の心の中で在り続けることになるでしょう。

     

     

    だれもが心の中で抱く幸福像とはうらはらに、

     

    同じく心のどこかでも、

     

    とても受け入れ難い、

     

    よもやと思う悲愴たる現実があることを、

     

    実は我々の心は知っているのです。

     

     

    たとえそれを知っていたとしても、

     

    「まさか自分には…」というよぎった思いを、

     

    隅に置いているだけなのです。

     

     

    あの日あの時に、

     

    命を落とされた魂の同志たちを想うと、

     

    私たち一人一人が今やるべきこと、

     

    立ち向かうべきこと、

     

    そして「生きる」というごく普通の毎日のことに、

     

    何という深淵なる意味がこめられているのだろうか、と気づかされます。

     

     

    「もっと生きることに勇気を持て。大丈夫、君ならできるから!」

     

     

    天国にのぼった彼たちは、

     

    今を生きる私たちに向かって、

     

    きっとこのように励ましてくださっているのかもしれません。

     

     

    尊い魂の同志たちへ ー

     

    ここに黙とうを捧げます。

     


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    さあて、一息つきましょうか

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      やっと仕事が一段落ついたものですから、公園へと散歩にやってきました。

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      この日に訪れたのは、福島県白河市にある「白河関の森公園」というところです。

      天気がいい日に、のどかな公園を散歩するって、気持ちがいいものですね〜。

       

       

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      木立の中をゆっくりと歩くだけで、これまでの仕事でたまった疲れが癒される気分になります。

       

      ここの公園は今日初めて来たんですが、どうやらこの地は先人たちがのこした歴史の記憶が、そこに「置いてある」とも言わんばかりに、その思いをひしひしと感じることができます。

       

      さらには、階段を上ると神社があるんですが、そこへ向かおうとした時のことです。

       

      手水舎からすぐ先にある階段の部分からは、明らかに俗世と神域との空間に違いがあることを、私の「ニオイ」の共感覚(※詳しくはこちらの記事を参照)が自動的に発動し、察知しました。

       

      私「おぉ、久しぶりにニオイが来た!」

       

      えぇ、ここ数ヶ月は仕事づくめでして、あまりスピ系には意識をむけておらず、基本的に仕事に集中しているときは(よほどのことがない限りは)ニオイスイッチはOFFになっているんです 汗 。

      (↑ニオイスイッチって初めて聞いたんですが(笑))

       

      拝殿でお参りをし、その横にも小社があったのですが、これがまたおもしろくてですね、天神様や熊野様、大山祇の山の神様など、七柱の神様が祀られているんですよね↓

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                 七柱の神様が祀られているお社

       

      これからの自分の人生について、この中の一柱の神様にしっかりとお願い事をしました。

       

      まだまだ魅力がいっぱいある白河関の森公園。いずれ神社仏閣・史跡めぐりのカテゴリーでもご紹介したいと思います。

       

      何よりも、リフレッシュできてよかったです Docomo_kao1

       


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      明けましておめでとうございます

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        2019年、新しい年がやってまいりました。

         

        昨年は、当ブログが開設1周年を迎えたことをはじめ、私がこれまでに遭遇してきた不思議な出来事をつづった体験記やインスピレーション、そして湧水心語や龍のように見える雲など、いろいろご紹介してまいりました。

         

        今年も引き続き、不思議体験記を中心にしてその他カテゴリーについても随時更新していきたいと思いますので、いつでもお好きな時に、また気の向くままに、当ブログへお越しいただければ幸いでございます。

         

        どうぞよろしくお願いいたします<(_ _)>

         


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        見事な巨木が教えてくれたもの

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          先日、仕事で同僚と取引先に伺った際に、駐車場の入り口前に立派な木があるのが目に入りましてね、この木の樹齢は一体どのぐらいなのかとか、これは何という木でいつの時代に植えられたのかなど、一緒にあれこれと話をしておりました。

           

          その後にこの現場での仕事が終わり、玄関から出ようとしたら、壁に1枚の絵が飾られてあったんです。その絵は、今から30年以上前のもので、私たちが駐車場の入り口で見たあの立派な木が描かれていたのです。

           

          私「あ、これ、あの立派な木だよね。へぇ〜、この頃はこんな感じだったんだね」

           

          感心しながらまじまじとその絵を見ていたのですが、その直後のことでした。心の中にこのような言葉が突然浮かんできたのです。

           

          − 明 治 −(心の声)

           

          私(…え?、明治?もしかして、この木は明治時代に植えられたのか?)

           

          何の確証もありませんでしたが、とりあえずはこのインスピレーションを心の中に留め置いて、後日にネットでいろいろと検索をしてみたところ、何とこの木についてブログを書いている方が複数名いるではありませんか!

           

          その中の1つに、この木は樹齢140年以上前のものであるということが書かれており、写真も掲載されておりました。おそらくは、実際にここの関係者の方からこの木について聞き取りをされて、その記念に写真を撮影したものと思われます。

           

          私「おぉ、140年以上も前のものなんだ、ということは……1800年代後半ぐらい

            か、ええとつまり…やっぱり明治時代じゃん!」

           

          明治で合ってました(笑)。

           

          ここを訪れた方たちはみな、この木を見るとすごいな〜ときっと驚かれることでしょう。そのため、記念として撮影してブログやSNSなどにアップするものと思われます。それだけに、見る人の心を引き込むものであり、そして歴史を重ねてきた木でもあるのですね。

           

          あの時に見た1枚の絵…。あの絵には、巨木に対する作者の想いが込められていたのかもしれません。それを私がまじまじと見たことにより、無意識のうちにそこから何かを読み取ったため、「明治」というキーワードが引き出されたのかもしれません。

           

          それに、もしかしたらあの木には精霊のようなものが宿っているのではないかな〜とも思えました。

           

          この巨木はこれからも、ここを訪れた多くの人たちに、癒しを与えてくれることでしょう うふ

           


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          ブログ開設1周年がたちました!

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          早いもので、ブログ開設から1周年が経過いたしました〜!

           

          私がこれまでに体験してきた不思議な出来事を紹介する【不思議体験記】をはじめ、普段の日常生活の一コマを書いた【流日なる日常】、龍のように見える雲やちょっと変わった写真を掲載した【PhotoGallery】、何十年と時が経ってもいまだに記憶に残る【印象的な夢】、そして心の中から湧き水のごとく出てきた言葉をつづった【湧水心語】などその他、カテゴリー別にいろいろとご紹介をして参りました。

           

          実はですね、だいたい1年ぐらいを目途にして紹介できればいいな〜と思っておりまして、それ以降は特にブログを継続しようとは思ってはいなかったのです。また、月におよそ10記事前後のペース配分で書いていこうと計画を立てましたが、まあ、結果的に10記事にも満たない月が半分以上もありました(笑)。

           

          それにですね、やっぱりこういったスピ系や不思議系といった分野は、それを多衆的に証明して見せることが困難かつ不可能であるために、事実として実際に遭遇・体験した出来事であったとしても、それをブログに書いたところで本当に信じてもらえるのかどうか…という不安と心配がいつも心に引っかかっていたのです。

           

          ところがですね、こんなスローペースで不定期更新のブログが、意外にもアクセス数が徐々に増えていきまして、何よりもブログランキングのバナーをポチっとしてくださる方もいることに嬉しい思いがこみ上げてきました。

           

          「そうか、やっぱりこういう分野にも興味を持っている方が(自分の予想を超えて)

           結構たくさんいるんだなぁ……。じゃあ、もうちょっと続けてみるか」

           

          これが今の私の率直な感想です。

           

          証明できない不思議な現象を、公にブログとしてその事実を公開する…って、当然ながらこれは本当に自分に正直でなければできないことだと悟りまして、自信と勇気がいることなんだなと、改めて気が付いたことでもあります。

           

          それに、皆さんに聞いてほしい見てほしい不思議なお話の続きがまだまだいっぱいありますので、今後もそれらを紹介し、新たに遭遇した体験談も公開していき、そして体験記として綴っていこうと思います。

           

          そんな、私のwonderな世界観あふれるこのブログを、これからもどうぞよろしくお願いいたします <(_ _)>

           


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          夢で見た「自分の人生の計画表」

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            私は普段からよく夢をみまして、それらの夢の中でも特に印象に残っているものを、【印象的な夢】のカテゴリーで紹介しています。

             

            本来なら、今回の記事もそのカテゴリーに分類されるものなのですが、現時点では「私が過去(幼少期〜2017年まで)に体験した、謎や不思議な出来事をつづった不思議体験記からブログ用に改訂したもの」を転載しているカテゴリーでもあるので、その転載が全て終了してから、改めて【新・印象的な夢】などというようなカテゴリーをつくり、不思議体験記には記載のない2018年以降の出来事を掲載していきたいと思っています。

             

            さて、皆さんは自分の人生を、狎犬泙譴訌阿豊どのように計画されてきたのか、覚えていらっしゃいますか?

             

            唐突にこんなことを聞くと変に思われるかもしれませんが、この手の分野に詳しい方ならきっとご理解いただけることでしょう。

             

            これまで多くの先人たちが語り継いできた魂の輪廻の法則をはじめ、魂学研究に携わる世界中の精神世界や死生観についての論者たちが、「人間は生まれて来る前に、人生のおおよその計画を立て、それに沿った人生が展開される」ということを語っています。

             

            ※ただ、ここからは私の見解ですが、基本的には多くの魂たちはこのように人生の計画を立ててきますが、それぞれの魂の学びや進化の状態に応じてその内容は変動し、場合により、人生の主幹的な出来事を除いた、それ以外のほとんどの部分を白紙状態のような形で生まれて来る魂もごく少数存在する、という考えに至っています。

            その理由には、人間として生きるうえで、魂の自由度を現世で大いに体現するということが目的にあり、犹前に計画の無い苦労や困難などに直面した場合にそれをどのように対処するかを求められる、進化傾向の強い魂が選び取る手段の1つであろうとも考えています。

             

            そうすると、自分自身は一体どんな計画を立てて生まれて来たのだろうか…。そんなことを時折思ったりしたことはありますが、当然ながらそれについては全くわからないことでもありますし、むしろこれは「わからないようになっている」といった方がいいのかもしれません。

             

            ところがですね……昨晩、まさにその人生の計画が書かれていた、一覧表のようなものが現れた夢をみたのです!

             

            夢に現れた場面は、結構広い部屋の中に私がいました。周りはとてもきれいに整頓されており、部屋の空気感といいますか、部屋が醸し出しているオーラのようなものが「青色」の系統で包まれていました。

             

            そして、私の目の前には誰かが1人いる気配がするのですが、顔を姿も見えません。ただ、その者が男性である、ということだけはなぜかわかりました。

             

            その男性が、1枚の大きな紙(新聞紙を広げたよりももうちょっと大きめな感じ)を広げて、床に置きました。なんだろうと思ってそれをのぞき込んでみると、向かって左側から10代、20代、30代……と横に書かれており、その年代の縦の欄には、その時に経験・遭遇するであろう出来事が、非常に細かく書かれていたのです。

             

            私「(うわ、これは自分の人生の計画表だ!)」と、直感的に思いました。

             

            まずはさしあたって、今の自分の年代の欄に目をやると、「…あぁ、やっぱりあの時にそうなったことが書かれている…」と、夢の中の自分は少し落胆しています。たしかに数年前、自分としては苦しい状況に見舞われた出来事がありましたが、それがそのまま、その一覧表に書かれていたのです。

             

            私「(この表は…つまり、ここに書かれている通りのことが起きるのか…)」

             

            そして次に、これから先の年代にも目を向けてみましたが、なぜか目がかすんで見えません。いろいろな出来事が書かれているのですが、ハッキリと見えないのです。

             

            しかしそれでも、なんとかしてぜひ見てみたい!と思った私は、これでもかというぐらいに目に力をこめてピントを合わせたところ、一部分がクッキリと見え、そこには「えー、ほんとに、そういう出来事が起きるの⁉それって結構ラッキーなんじゃない?」と思えるような、良い出来事が書かれていたのです。

             

            こんな私のハングリー精神丸出し(笑)の様子を黙って見ていた目の前の男性は、少し微笑んでいるようにも思え、静かに見守ってくれている感じが伝わってきました。

             

            と、ここで目が覚めました。

             

            目が覚めてから、先ほど見た計画表の内容を改めて思い出そうとしましたが、なぜか…何が書かれていたのかを全く思い出すことができません。ラッキーと思える出来事とは何だったのか、それがどういう内容だったのか、わからなくなっていました。

             

            まあ、夢の中では知ったとしても、現実の自分としては知る必要のない未来の出来事である、と言えるのでしょう。ゆえに、記憶から消え去った(あるいは消された)と思われます。

             

            ただ、このことはあまり詳しくはお伝えできない内容になりますが、断片的に記憶にあるのは、今の自分の年代よりも、さらに数十年先の未来の年代が書かれていたことは覚えています。

             

            それを考えると、まだ私自身には、やらなければならない使命が残されているのだなと思え、それに向かってこれからも進んで行こうと、前向きになれる気持ちがわき出してきました うふ

             


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            虫が体にとまる…という謎

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              観客動員数101万人、出場校は56校という、共に史上最多を記録した第100回目の記念となる夏の甲子園が幕を閉じました。

               

              決勝戦では、史上初の春・夏2連覇を目指す大阪桐蔭高校と、秋田県勢としては実に103年振りの決勝進出となり、体を後ろに反らして全力で校歌を熱唱する金足農業高校との一騎打ちとなりました。

               

              結果的には、全国各地からエース級が集結した大本命の大阪桐蔭が優勝しましたが、かたや全メンバーが地元秋田県出身である公立高校の金足農業が、開幕から強豪校を次々とやぶり、その意地を見せてくれました。

               

              持ち前の「雑草魂」を生かし、秋田県民のみならず、全国に感動の嵐を巻き起こしましたね!

              (大阪桐蔭のつぶやき:俺たちが優勝したのにさ、金農に話題全部もってかれてんじゃん…)

               ↑冗談ではありますが、でも本当のようにも聞こえるつぶやき(笑)

               

              そんな中で、おもしろいニュースがあります。

               

              金足農VS大垣日大戦で、バッターボックスに立った金足農の菊地彪吾選手の背中のゼッケンに、なんとセミがとまっていたのです。

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               菊地選手の背中にとまっているセミ

                 (引用元:朝日新聞DIGITAL

               

              菊地選手は、この打席でヒットを放ち、走塁中もセミはとまったままで、さらに三塁にヘッドスライディングをした際でも、落ちることも飛び立つこともなく、セミは背中にしがみついたままなのでした。なんと根性のあるセミでしょうか びっくり

               

              セミが体にとまるという、このニュースを見てですね、「…え、やっぱり、そういうことってあるよね」と、思いました。というのも、私もこれと似たようなことが、これまでに2回ほど経験があるからです。

              (あ、私は高校球児ではありませんので、ゼッケンにはとまっていません ちゅん

               

              まず1つ目は、つい最近ですが今から10日ほど前のお盆の時期です。その日は私は仕事だったのですが、敷地内にあるフェンスの前に立っていた時に、「カツン」とフェンスに何かが当たった音がしたので見てみると、何か小さな黒っぽいものが飛んでいました。その直後、それが私の右足の太ももの所まで飛んできたのです。

               

              一瞬、「うわ、いまの何⁉」と思い、足を見てみると、それがセミだったのです。

               

              そのまましばらく様子を見ていましたが、そこから動く様子がなく、足を軽く動かしても、一向に飛び立つ気配がありません。仕方がないので、手でセミをつかみ、一緒にいた同僚たちに「今ね、セミが飛んできて、足にとまったんだよね」と見せたところ、「えぇ⁉ほんとに?」 「何それ、そんなことあるの?」など、みんなちょっと驚いた様子でした。そしてセミをフェンスの上に置いたところ、元気よく飛び去って行きました。

               

              2つ目は、3年ほど前の夏の日でしたが、同じ職場の敷地内にある駐車場に車をとめ、車からて降りて歩き出したところで、一体どこから飛んできたのか、1匹のセミが私の胸の所にとまったのです。

               

              この時も一瞬、「うわ、何だ?」と思い見てみると、まるで私のことを猝抬と勘違いしたかのように、セミがとまったままじっとして動かないのです。

               

              この時も手でセミをつかみ、たまたまそこにいた近所のおばちゃんに「いま、セミが飛んできて、私の胸の所にとまったんですよね」といって見せると、「えー、ほんとに?へぇ〜」という感じで驚かれたことがあります。

               

              あとは、セミの他にも「トンボ」と「蝶」もあります。これらの昆虫は、その時に一体どこから飛んでくるのかはわかりませんが、私の体にとまる場合があるのです。もしかして、私の体から木や花の蜜のニオイでも出ているのでしょうか Docomo_kao8

               

              皆さんにも、このような体験はありませんか?

               


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              豪雨被害、そして癒しの想いへ

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                平成30年7月豪雨と名がつけられたこのたびの西日本での災害。連日のように、その被害状況がテレビで流されています。

                 

                私も7年前の東日本大震災を経験した1人として、改めて災害の怖さを実感した次第です。

                 

                その被害に遭われた多くの方を助けようと、全国各地から集まったボランティアの方々が、この厳しい暑さの中で毎日復旧作業のお手伝いをされている姿を見て、頭が下がる思いです。

                 

                そんな折、Tポイントカードから手軽に災害募金ができることを知り、少しでもお役に立てればと、わずかではありますが寄付させていただきました。

                 

                ささやかな1人の人間の想いではありますが、同じ想いを抱く者たちと大きな輪をつくり、それが広がって被災者の方々へ届くことを願っております。

                 

                 

                さて、今日はきれいな夕焼け雲が出ていました。

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                月も出ていました。

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                困難と試練に立ち向かわれている方々へ、月の明かりのように、心をやさしく癒してくれる光が注がれますように。

                 


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                大衆演劇のスターとシンクロしたお話

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                  先日ですね、かなりインパクトのある夢を見たんです。

                   

                  それは一体どんな夢かといいますと、あの大衆演劇のスターである「梅沢富美男」さんが出てきたのです!もうこの名前が出るだけで十分なインパクトがありますよね。ええ、もうほんと、かなり濃厚です ちゅん

                   

                  夢の内容は、大きなイベント会場のようなところで、私は何かを組み立てています。その周りでも、同様に数人が作業にあたっており、みんな結構忙しそうです。そして、一見するとオシャレな帽子のように見えるヘルメットをそれぞれがかぶっています。

                   

                  その後、いったん休憩所のような場所で待機をしていると、どうやら本日の「主役」ともいえる人物が会場に到着したようで、周囲のスタッフたちに緊張感が見受けられます。

                   

                  私たち数人は、まだ作業が終わっていないのでそのまま待機をしていましたが、どうやら私たちもその主役と特別に面会ができることになったようで、みんなも若干緊張している様子です。

                   

                  その主役こそが、梅沢富美男さんだったのです。

                   

                  そして私たちは、梅沢さんがいる部屋へと案内され、帽子型のヘルメットをかぶったままその部屋へと入っていきましたが、それを見るなり梅沢さんに「おーい、部屋の中までは帽子をかぶんなくていいぞー」と言われ、あ、そうかと思ってヘルメットを取りました。

                   

                  へぇ〜、意外に細かいところに気がつくんだなぁと思っていると、なんとちょうどその時に梅沢さんは舞台にあがる時間がきてしまったようで、特にそれ以上は言葉を交わすこともなく、そのまま退室されてしまいました。

                   

                  何も話ができなかったことに少々残念な気持ちはありましたが、忙しい方なので仕方がないなと思ったところで、目が覚めたのでした。

                   

                  ●目が覚めてからも、なんとスターが目の前に…

                  しかし、この話はここでは終わりません。まだ続きがあるのです。あの妖艶なる女形で流したスター梅沢にまつわる話が、この程度のことで、いとも簡単に、やすやすと終わるわけがないのです。

                   

                  それは、目が覚めて、新聞を読もうと茶の間に行った時に起こりました。

                   

                  茶の間では、すでに父が新聞を読み終えていて、テーブルの上には折り込み広告が置かれていました。

                   

                  その広告の一番上を見ると、なんとそこには、ニンマリとした表情で、これでもか!というぐらいドアップになっている、スター梅沢の顔が写っているではありませんかーーー!!

                   

                  私「(…何だと ゆう★  ばかな、ここでも梅沢さんが⁉ これは夢か? まだ夢なのか?

                          いや、そんなはずはない、これは現実だ……梅沢シンクロだ!)」

                   

                  梅沢さんは、某パチンコ店の新イメージキャラクターとなったのですが、そのパチンコ店の新台入替の広告だったのです。

                   

                  目覚めたばかりの朝一で、まさかこんな濃厚な再会があるとは(笑)。

                   

                  しかし、何枚もある折り込み広告の中で、さらには両面刷りのものが多くあるにもかかわらず、その中のたった1枚、しかも梅沢さんの顔がドアップに写っている部分が一番上になってそこに置かれている事実(笑)。

                   

                  父よ、これだけたくさんある広告の中から、よりによって、なぜこれを一番上に置いたのだ…

                   

                  圧倒的なる偶然性!運命のイタズラ的なる必然性!まさに奇跡!

                   

                  あのニンマリとした梅沢さんの表情。それを見ると、まるで「夢の中では君とゆっくり話ができないまま退室したけど、今度会った時にはいろいろ話そうな!みたいに声をかけられているような気分でした。

                   

                  同じ福島出身の梅沢さん。あなたの強烈なシンクロパワーを体感させていただきました。合掌 お願い

                   


                  記事をお読みいただきありがとうございます

                  霊現象が導いた謝罪と信仰心 part 〜その時、お不動様は…〜

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                    part△呂海舛

                     

                    ※前回のあらすじ

                    女性の霊が現れたと思ったら、急に目の前の場面が変わり、そこには数人の見知らぬ者たちが立っていて、過去に私が他人に迷惑をかけてしまった行動について反省をするべきだと、その者たちから注意を受けることになりました。

                    それを私は素直に受け入れて謝罪をすると、また場面が変わり、目の前には再び女性の霊が現れたのです。さて、その後…。

                     

                    (※今回は考察も含めましたのでいつもより長文です)

                    途中までしか覚えていないお不動様の真言はもはや諦め、たとえここに来てくださらなくても、せめてそのお姿だけでも強くイメージをし、心の中で「お不動様」とお名前をお呼びしました。

                     

                    すると……

                     

                    なんと、来てくださったのです!私の目の前においでくださったではありませんか。

                     

                    この瞬間、私のそばにいた、すでにその姿は薄い衣のような存在になっていた女性の霊は少し遠くに離れたため、ゾワゾワ感は全く無くなり、平常に戻ることができました。

                    (実際に体からゾワゾワ感が無くなって気持ちが良くなったからなのか、この時に寝ながらにして手や足を小さくさすっている自分自身を、まどろんだ意識下にいるもう一人の自分が、第三者の視点のように外側の空間からそれを見ていたのを記憶しています)

                     

                    まだ意識は爐泙匹蹐鵑性状態が続く中、私の目の前に背中を向けて立っておられるお不動様。その背中越しに、少し離れた女性の霊を見ている私。そして、もはやこちらには近づくこともできずにその場にいる(空間に漂っている)女性の霊。

                     

                    その後も、この三者間での沈黙の状態がしばらく続きましたが、お不動様はそこに立っておられるだけで、何もしません。てっきり、手に携えている剣でバッサリとやるものだと思っていましたが、何もやらないのです。黙って見ているのです。

                     

                    私(…あれ、何もしない?)

                     

                    するとお不動様が私の方へくるりと振り返り、手に持っていた剣を差し出し、

                     

                    お不動様「持っていなさい」

                     

                        私   「…⁉」

                     

                    なんと私は、お不動様から剣を渡され、手に持ったのです。

                     

                    その声は、心に響いてくる声でした。お不動様の口は動いてはいませんでしたが、低くて重みのある声でした。

                     

                    おお、これが剣かと自分でも驚き、グッと力を入れて握ると非常に硬い感触があり、しかしそれでいて重さはさほど感じない程度のもので、この剣で災いの元を断ち切るのかと思いました。

                     

                    そして再びお不動様をよく見ると、いましがた私に剣を渡したはずなのに、なぜか手に剣を持っているのです。もちろんまだ私も手に持っています。剣が分身したかのように、私とお不動様のそれぞれが剣を持っているのです。

                     

                    私「(あれ、なんで?剣って1本じゃなかったの?)」

                     

                    と思いましたが、まあ、そんなことは特に気にすることでもないという感じでお不動様は再び向き直り、また同じようにその場に立っておられます。

                     

                    そして、薄い衣のようになっている女性の霊が、もうこれ以上はこちらへ近寄ることはないだろうと感じたところで、目が覚めたのでした。

                     

                      

                    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

                    《考察編》

                    今回体験した出来事を振り返ってみる

                    今回の不思議な出来事においても、また意味のある内容だったなと感じています。

                     

                    私が寝ている時に突如として現れた女性の霊。その正体が何だったのかはいまだによくわかりませんが、今となって感じることは、この女性の霊は亡くなった方の霊が現れたのではなく……もしかしたら今も現に生きておられる方が、一種の「想念体」のようなものとなって私の前に現れたのではないか、という思いも浮かんできました。

                     

                    そのポイントとしては、私が最初に「…母か?」と思い違うほど、どこかで聞き覚えのある声だったという点と、まるで私のことを知っているかのように声をかけてきた、という点です。実際に私は、人間としてのこの女性と、どこかで出会ったことがあるのかもしれません。

                     

                    この女性の霊は、一般的に言えばたしかに「霊」という類のものであることに間違いは無いのですが、もともとは何か悪さをしに現れたというようなものではないため、それほど危険性を感じることはありませんでしたが、とはいえ、やはりその存在自体が(たとえ想念体であって)私と波動が合わないので、ゾワゾワという拒否感が生じました。

                     

                    それから急にまどろんだ意識へと変わり、気がつくと目の前には数人の見知らぬ者たちが立っており、その者たちから私の過去の過ちを指摘され、私が素直に謝罪をしたという場面へと移っていきますが、ここで少し疑問が生じます。

                     

                    それは、女性の霊と数人の見知らぬ者たちとの間には、一体どんな関係性や共通点があるのだろうか?という点です。

                     

                    まず、女性の霊は私に「寝てるのかい?」と、まるで確認をするかのように声をかけてきましたが、結果的に見ると、私に対してそれ以上の行動は何も起こしておりません。それだけを見ると、「何だ、何もせずにただ現れただけか」という見方で終わりですが、しかしもう少し掘り下げてみると、本当にただそれだけのために現れたのか?と感じるのです。

                     

                    というのも、この直後にまどろんだ意識へと変わり、見知らぬ数人が現れ、その者たちから注意を受けて私が謝罪をしましたが、この謝罪をするということが、私自身にとっては非常に大切な行為の一つであり、いずれやらなければならない反省点であるということを自覚させられました。

                     

                    その点を踏まえると、別に女性の霊が現れる必要性はどこにも見当たりません。なぜなら、最初から見知らぬ数人が現れる場面から始まればいいからです。

                     

                    「じゃあなんで、わざわざ女性の霊は現れたの?」となりますが、実はそこに今回の出来事の重要な意味が隠されているのではないか、むしろ牴燭目的があって現れたのではないだろうか、と思えてきたのです。

                     

                     

                    女性の霊の目的とは何か? そして見知らぬ数人の者たちの正体と関連性は?

                    これは一つの推測ではありますが、私が他人に迷惑をかけてしまった行動について、謝罪が必要であるということを、この女性の霊は何らかの理由であらかじめ知っていたのではないか?、そのため、私と数人の見知らぬ者たちとを引き合わせるために、そのきっかけ役となって現れたのではないだろうか、という解釈が浮かんできたのです。

                     

                    布団で寝ていた私に最初に声をかけ、そして謝罪が終わった最後の場面、しかもまどろんだ意識の中にも再び現れたことを考えると、女性の霊はまるでこの一連の様子を把握しているかのようにもとらえることができ、たまたまそこに偶然現れたとは到底思えず、今回の出来事の中でも重要なポジションを担っていたのではないか、とさえ思えてくるのです。

                     

                    そして次に、見知らぬ数人の者たちの存在です。まどろんだ意識下で現れたこの者たちの顔は、その全体像を含めて暗い影のようなものとなって私の目の前に立っていたため、一体だれだったのかを認識することはできませんでした。

                     

                    しかし、ゼスチャーを交えて訴えかけてきたその様子からは、私の過去の行動について厳しく注意をする姿がうかがえたと同時に、私が迷惑をかけてしまったという行動が一瞬だけ頭をよぎったため、「これは本当に謝らなければいけない」という思いがわき起こり、素直に謝罪をしました。

                     

                    その謝罪で、見知らぬ数人の者たちが果たして許してくれたのかどうかはわかりませんが、その後はこの者たちが現れることはなく、私としても心の中で一応の整理がついた感じがありましたので、これはこれで良かったのだろうと理解をしています。

                     

                    ここまでを考察した上で、特に女性の霊に関しては、「私が謝罪が必要であることを、何らかの理由であらかじめ知っていたのではないか?」という可能性を見出しましたが、ここでも少し疑問が残ります。

                     

                    それは、「あらかじめ知っていたという、具体的な理由はどんなものがあるか?」という点についてです。

                     

                    もしかしたらその部分は…私が他人に迷惑をかけてしまったという、一瞬だけ頭をよぎったあの行動が(今ではその時のことが全く思い出せませんが)、現実的に本当にそういう行動を私が過去にとっていたとするならば、実際にその当時、(人間としての)この女性が、その現場にいたのではないのか⁉と、思わざるを得ません。

                     

                    もしもそうならば、実際に当時の出来事を知っているからこそ(その様子を見ていたからこそ)、私が早く過去の過ちに気づいて謝罪をするために一連の場面の中に登場してきたのではないか、という見解がしっくりくるようにも思えますし、間としてのこの女性と、どこかで出会ったことがあるのかもしれないと感じたことにもつじつまが合うからです。

                     

                    「では、その当時の出来事って、いつのことでどんなことなの?」

                     

                    それが…前記した通り、全く思い出せないのです…。一瞬だけ頭をよぎった出来事さえも、もはや記憶のかなたに消えてしまっているのです。

                     

                    現実的に、他人に迷惑をかけてしまったという、私自身がその出来事を思い起こすことが困難なため、一種の想念体のようなものとなって私が寝ているところへ現れ、さらには「まどろんだ意識」という、ある意味では魂同士が分かり合える世界の中にまで現れたのかもしれません。

                     

                    そのまどろんだ意識の中で、私が迷惑をかけてしまった出来事が頭に一瞬よぎりましたが、実はそれは、魂同士が分かり合える世界だからこそ、この女性の霊が「意図的に、私の頭に一瞬よぎらせた」という働きかけをしたのかもしれないのです。

                     

                    今となっては記憶のかなたに消えてしまったその出来事を、少しでも思い出すことができれば、この女性の霊が何者なのか、さらには見知らぬ数人たちの正体についても、もっと解明できるだろうと思うのですが、残念ながらそれ以上の詳しいことは私では知り得ない点でもあります。

                     

                    そこは、女性の霊と数人の見知らぬ者たちとの間でしか知り得ない部分である、とまでしか言えないのですが、きっと私にはわからない何らかの隠された関係性があるに違いないという、推測の域での謎を残したままとはなりますが、現時点での一応の妥協点として留まるに至りました。

                     

                     

                    ●通ずるものがあればご加護をいただける

                    そしてもう一つは、神仏にご縁をいただいていれば、その真言を唱えずとも、心の中で強いイメージをもってお姿を描くことにより、その念が通ずるということを知ることができました。

                     

                    真言を途中までしか覚えていませんでしたが、お不動様が私の前に現れてくださった時、「おぬし、真言を途中までしか覚えておらんとは何事か!」などというふうに、お不動様には怒られませんでした(笑)。

                     

                    ただ、真言によりその仏様はさらにパワーを増すということに間違いはありません。それに不動明王の真言は、それ自体に一種の犖昔逎僖錙辞がありますので、その真言を唱えるだけで、または真言の音調を自分の身にまとうように唱えることにより、日常においても邪気などから身を守ることもできます。

                     

                    これを機に、しっかりと真言を覚えました手 これからはいつでも唱えられます。そして何よりも、日頃からの信仰心が大切なのだということも改めて実感いたしました。

                     

                    ある日の夜の不思議な体験から、まさかここまでの内容に発展するとは思いもよりませんでした。不思議な現象の中には、実はその人に必要な意味が隠されている場合がある、ということを教わった出来事となりました。

                     

                    長文にお付き合いいただきましてありがとうございました顔

                     


                    記事をお読みいただきありがとうございます

                    霊現象が導いた謝罪と信仰心 part 〜自分の過ちを謝罪する〜

                    0

                      part,呂海舛

                       

                      ※前回のあらすじ

                      夜中に突如現れた女性の霊。

                      金縛りにはなりませんでしたが、その霊が放つ波動の影響により、私の体が拒否反応を示してだんだんとゾワゾワし始め、このままではマズイと思いました。

                      そこで、お不動様に守っていただこうとして不動明王の真言を唱えましたが、途中までしか覚えていなかったという痛恨の失態をさらけ出してしまいました。

                      それから一体どうなったのか…。

                       

                       

                      この直前まで、半覚醒状態の犁きている方の意識でしたが、この直後から爐泙匹蹐鵑性方の意識へと急に場面が変わりました。

                       

                      するとそこは薄暗い部屋で、目の前には数人の見知らぬ者たちが立っていましたが、その人物像がハッキリとは見えません。その中で、先頭にいた者が私に対してゼスチャーを交えながら何かを言っているのですが、これもハッキリとは聞き取れません。

                       

                      ただ、その様子から伝わってくるのは、どうやら私はかつて自分ではわからないところで他人に迷惑をかけた行動をしてしまったらしく、その人物は私に対して「なぜあの時にもっと冷静な行動をとれなかったのか?」というような感じの、少し厳しめのニュアンスで話をしています。

                       

                      それを聞いた私は、「(ああ、もしかしたらあの時のことかもしれない)」という部分が頭に一瞬よぎりましたので「はい、すみませんでした」と、素直に謝りました。

                       

                      注意を受けたその行動とは果たして何だったのかを、明確に思い出すことまではできませんでしたが、頭に一瞬よぎったその出来事について、いずれ反省が必要なのだということも伝わってきましたので、自分なりに了解をしたという感じでした。

                       

                      すると、まだ意識は爐泙匹蹐鵑性方のままですが、目の前の場面が変わり、先ほどの女性の霊が再び現れたのです。

                       

                      結局のところ、「はい、すみませんでした」と頭を下げて謝ったという、謝罪をした場面が加わっただけで、女性の霊が現れた最初の状況からはまだ何も変わっていないのです……。

                       

                      ただこの時点で、目の前にいる女性の霊はすでにその存在自体が透けて見えそうなほど、とても薄い衣のようなものとなっており、最初に感じた「圧」がもうほとんどありません。顔もハッキリと見えないぐらいに、もう少しで消えそうになってはいますが、先ほどから感じているゾワゾワ感はまだ消えていませんので、まだ霊の影響を受けている状態なのです。

                       

                      お不動様の真言も途中までしか覚えていない中、このまま霊が去るまで耐えなければならないのかと諦めかけましたが、しかしそれでもお不動様のお姿だけはしっかりと心の中で思い描こうと、参拝した当時の記憶を思い起こし、より鮮明に強く、そのお姿をイメージしました。

                       

                      その思いは果たして届くのだろうか……。

                       

                      次回partへ続きます。

                       


                      記事をお読みいただきありがとうございます

                      霊現象が導いた謝罪と信仰心 part 〜女性の霊が現れる〜

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                        以前にこちらの記事でご紹介しましたように、早朝に金縛りになったと思ったら、なんと私の胸の上に5歳ぐらいの男の子の霊が正座をしたまま乗っており、私の顔をじーっと見ていたということを書きました。

                         

                        その後、このような金縛り体験、または金縛りまではいかないものの、明らかに実在する人間ではない「霊」といわれる存在が、私の身近に接近してきたことがあるということを数回ほど体験したことがあります。

                         

                        その中には、あまりにも内容がリアルすぎるものがあり、スピ系や超常現象といった分野に理解のある方にさえも、まだ話をしたことが無い体験談があるのも事実です。

                         

                        さてそこで、今回はこれまでの霊との接近・遭遇体験の中で、ごく最近体験した出来事について掲載したいと思います。

                         

                        それはある日の夜のこと、その日もいつも通り、特に何事もなく、いたってごく普通に布団で寝ていました。

                         

                        すると突然、今までとは空気感が異なるといいますか、波動そのものが違うような独特の「圧」を感じました。霊体験者がよく口にする「あ…(霊が)来たな」という、あれです。

                         

                        その場合、半分は目覚めているものの、もう半分の意識はまどろんでいるというような「半覚醒状態」になることが多くあり、この時もまさしくその状態となりました。

                         

                        そして現れた霊が、寝ている私に向かって静かに語りかけてきました。

                         

                        霊「…寝てるのかい?」

                         

                        それは女性の声で、しかも聞いたことがある声だったので、「…ん?母…か?」と思いました。

                         

                        現在私は親と同居しており、母が私の部屋に来ることは別に変わったことではありませんが、しかしこの時間帯は家族のだれもが寝ている真夜中です。こんな深夜に家族の者が部屋に入ってくることはこれまでにもありません。

                         

                        こういう場合、私は爐い弔皚甞稜Г靴討い襪海箸あります。それは何かというと、「音」です。もしも、家族のだれかが部屋に出入りする場合、必ず「音」が出るからです。

                         

                        例えば、何かに触った時や物を動かした時などの、特に深夜の静かな時ほど聞こえやすいわずかな音をはじめ、歩いた時の床の音、それに部屋のドアの開閉音などがあります。

                         

                        もちろん、周りの状況を目で見て確認することもできますが、就寝中で部屋が暗い場合には、目視ではなかなか確認しづらいことと、金縛りになっている時は恐怖心から目をつぶってしまうこともあります。

                         

                        しかしそういう時でも、「耳」からの音は聞こえるのです。今までの金縛り体験の中で、「金縛りという霊的現象が起こった際、それが原因で聴覚に支障を起こし、一時的に全く聞こえなくなってしまった」などというケースは、(私の場合は)これまで一度もありません。

                         

                        目視での確認ができない場合、なぜこのように音で確認をするようになったかというと、もしも本当に霊といわれる存在だったならば、上記のように人間が何か行動をする際にともなう、複数にわたる特有の音を連続的に出すことはない、ということを経験則で知っているからです。

                         

                        今回、就寝中に「寝てるのかい?」と声をかけられ、しかもそれが聞いたことがある女性の声がしましたので、「…母か?」と思いました。

                         

                        しかし前記したように、「あ…(霊が)来たな」という独特の圧も感じたことから、母なのか?霊なのか?を確認しようと思いました。

                         

                        もしも母だったならば、部屋を歩く際の歩行音や何かに触った時の音、それから部屋を出ていく時のドアの開閉音、さらにはそこから家の中を歩いていく時の音まで、行動時の複数にわたる音が必ず連続的に出るはずですので、耳を澄まして聞いていましたが…歩く音も開閉音も、全然しないのです。深夜の静けさ、そのものなのです。

                         

                        声は聞こえども、行動時の音が聞こえず…。さらには、私の顔からすぐそばの「空間」に、何かがとどまっている気配まであります。

                         

                        これは…母ではなく、やはり霊の方か…、そう思いました。

                         

                        この声を聞いて、それほど危険な霊という印象ではありませんでしたが、この直後から私の体に異変が起こりました。急に体中がゾワゾワとし始めたのです。霊という、波動の合わない存在と近距離で接することにより、拒否反応を示したのです。

                         

                        あぁ、どうしよう、そのままスッと居なくなってくれればいいのになと思いましたが、思いのほか、その場にとどまっています。なんとかこの場を切り抜ける方法はないものかと考えを巡らせている時に、とっさに頭に浮かんだのが、以前にお参りをしたことがある「お不動様」のお姿でした。

                         

                        私「(お不動様に来ていただこう)」

                         

                        このお不動様にお参りをしたことがあるのは1回だけですが、しかしこのたった1回のお参りで、私とお不動様との間にご縁を結んでいただけたのかどうか、正直なところ、この時点ではわかりません。

                         

                        「お参りをしたことがあれば大丈夫でしょう?」と、思われる方がいるかもしれませんが、必ずしもそうとは限りません。

                         

                        神仏とご縁を結ぶという仕組みが、私たちが思う以上に本当に深い絆で結ばれるということを知ったのはここ数年前のことなのですが、ご縁を結んでいただけていない場合は、魂同士がつながっているものがありませんので(または、道がつながっていないとも言います)、おそらく来ていただけないでしょう。

                         

                        ましてや、魔障を降伏するお不動様です。簡単にご縁を結ぶ、などという言い方自体が違うものであり、たしかにたった1回の参拝でご縁を結ばれる方ももちろんおりますが、しかしそこは私とお不動様との二者間でのみのつながりによるもの、としか言いようがないものなのです。

                         

                        本当に来ていただけるのかな……そんな不安を抱きつつ、お不動様のお姿を思い描き、真言を唱えてみたのですが、

                         

                        私「ノウマク サンマンダ バザラダン…あれ、ノウマクサンマンダ バ……」

                         

                        うかつです。不動明王の真言を覚えきっていなかったのです。実は以前から、この真言はしっかりと覚えておこうと思っていたのですが、結局そのままになってしまったのです。

                         

                        お不動様をお呼びするのに、その真言を最後まで覚えていないという失態をさらけ出してしまった私。何たることだ、しかもこんな時に限って……。

                         

                        さて、この後一体どうなってしまったのでしょうか。

                         

                        次回part△紡海ます。

                         


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                        10年前に自動書記で描いた「トムの部屋」とは?

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                          このブログを書き始めて、早いもので4ヶ月が経過いたしました。

                           

                          私としては、「あれ、もっと前から随分長く書いていたと思ったんだけどな」と感じてしまうのですが、その直後に冷静になり、「…でもまだ4ヶ月か」と、時間の感覚を1〜2年経過したぐらい先読みしたかと思いきや、急に4ヶ月という現実に戻されてしまい、なんだまだそんなものだったのかという、淡々とした思いがふと頭をよぎる今日この頃です(笑)。

                           

                          というのも、今から約10年前にもブログをやっていまして、その内容はいたってごく普通の、日常の出来事を単につづっていた言わば狷記帳瓩わりとして書いていました。そんなこともあり、過去のブログと時間が交錯してしまっていたのかもしれません てへ

                           

                          そんな中、本棚を整理していたら、その10年ほど前にブログをやっていた時期に書いていた一冊のノートが出てきました。

                           

                          へぇ〜懐かしいなと思いながらパラパラめくっていると、あるページに1枚の絵が貼り付けられていたのです。

                           

                          こんなのいつ描いたっけ?と、すぐには思い出すことができず、おそらくその辺にあったであろうと思われるメモ帳を利用して描かれてありました。

                           

                          私「・・・ああ!そうだ!この絵、たしかあの時、目をつぶってペンをにぎり、

                            瞑想してまるで自動書記のように、心の思うがままに何かを描いみよう」

                           

                          という、奇想天外なことにチャレンジをしたのを思い出したのです!

                          (↑そもそも、なぜその時にそんなチャレンジをしたんですか?)

                           

                           

                          その絵がこちらです。

                           

                          トムの部屋.jpg

                           

                          偶然なのか何なのか、前記したように目をつぶって瞑想中に、かつ自動的に手が動いて描かれたものなのですが、そんな状態でここまでうまく描けるのか?と思ってしまうほどの見事な絵が完成したのです。

                           

                          一見すると、鳥のようにもイタチのようにも見えますが、自分でもこれがどのような具象的イメージを持つものなのかは、ハッキリとはわかりません。

                           

                          日付は2008年12月6日、そして注目なのが「トムの部屋」と題されていることです。

                           

                          トムの部屋・・・?何ですかそれは?

                          (↑自分で描いておきながら何ですかとはないでしょう(笑))

                           

                          トムという外人の知り合いがいるわけでもないし、家で鳥を飼っているわけでもありません。特にこれといって、この名前に思い当たるふしは見当たりません。謎です。

                           

                          しかしこの絵をよく見ると、こちらを見つめるそのまなざしには、どことなく知性を感じさせ、そして魅惑的な印象を受けるのですが、それは私だけでしょうか…ね。

                           

                          トムさんが何者なのか、いやそもそも人間なのかどうなのかも存じ上げませんが、私と何か関係があるのかもしれません。それゆえに、これを描いた10年前、この絵を捨てずにこうしてノートに貼り付けておいたのでしょう。

                           

                          トムさん、およそ10年振りとなる再会に感謝いたします 感謝

                           


                          記事をお読みいただきありがとうございます

                          今日は彼岸の入りですね

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                            みなさんはお墓参りはされていますか?

                             

                            私はもう何年も前から、というよりも、子供のころからと言ってもいいかもしれませんが、お彼岸にはお墓参りをしています。

                             

                            今日はおだやかな天気で気持ちのいい青空が広がっており、家族連れの方たちがお墓参りに訪れておりました。

                             

                            さて、今日のご先祖様へのお供え物として、よもぎ餅と桜餅を買って行きました。

                             

                            おまんじゅうなどをお供えするときは、流派によってもいくつかのマナーがありますが、私の場合は包み紙の端の部分をちょっと開けてお供えをし、そして持ち帰って食べる、というやり方です。

                             

                            空には、まっすぐできれいな飛行機雲が出ていました。

                            DSC00476.JPG

                             

                            おまんじゅうもおいしくいただきました。

                            良き一日をありがとうございましたはな

                             


                            記事をお読みいただきありがとうございます

                            ニオイが教えてくれた不思議な体験。つながっている「道」

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                              私は普段から、スピ系さんが書いたブログをよく見ていますが、そこには数多くの写真がアップされている記事があります。

                               

                              特に旅行などで社寺めぐりをされた時などに、そこで撮影したと思われる社殿や境内の様子、狛犬などなど、とても細かく写真に収めている方もおり、そこの神社・お寺の魅力をあふれんばかりに紹介しているブログをよく見かけることがあります。

                               

                              その中で、ここ数年ほど前から私が感じることは、何気なく撮影してブログに掲載したであろう1枚の写真に、実は普通では見ることも感じることも無い狷鮫がつながっている写真がある、ということです。

                               

                              「道ってなんですか??」と、疑問に思われる方がいらっしゃると思いますが、ここで言う道とは、すなわち「その画像を通して、神や仏、あるいは眷属と言われる存在に念いが通じる道がつながっている」ということです。

                               

                              私自身、神社・仏閣に行って「本当の神仏の御姿」が見える、などということはありませんが、数年前に印象に残る強烈な出来事がありました。

                               

                              それは、とある稲荷神社に参拝に行ったときのことです。

                               

                              鳥居をくぐって拝殿へ向かおうとしたその瞬間、社殿の左側の何も無い空間の、ある特定の箇所からのみ、強烈な「神のケモノ」とも言える特有のニオイが、私の脳の奥を貫いたのです。

                              (※神のケモノ=神獣という意味での眷属を指します)

                               

                              このブログでも、これまでに何度か記事にした「ニオイの共感覚」が、突然にして自動的に発動したのです。

                               

                              周囲の空間とは明らかに違う、その特定の箇所に「いる」ということをニオイが教えてくれたのです。

                               

                              この出来事をきっかけに、その存在の姿・形は見えないけれど、ニオイとして「あれ、これは…中に(その像の中に)いらっしゃる(つながっている)…」ということを、脳の奥で感じる場合があります。

                              (ただ、どんな場合でもそのように感じることができるわけではありません)

                               

                              ですので、例えばブログにアップされたお稲荷様の写真を見ているときなどに、何となくうっすらとでも「ニオイ」を感じる場合があるのですが、そのときは、

                               

                              私「パソコンの画面上から失礼いたします。この方がブログに掲載した写真

                                からお姿を拝見させていただいております。私の名前は○○○○で、住

                                所は○○○…」

                               

                              と、そのブログの写真に向かって心の中で自己紹介をしています(笑)。本当です。

                               

                              あくまでも私見的なことではありますが、先ほどの「神のケモノ」と記述した過去の経験からもそうであるように、目には見えない何らかの現象が働いているからこそそう感じると思えるため、例えネット上に掲載された神仏の像の写真であろうとも、ニオイの共感覚が発動した場合には、まるでいま自分がそこで参拝しているかのように、心で語りかけています。

                               

                              へぇ〜、クニさんてちょっと変わった人だねと思ったことでしょう(笑)。

                               

                              でも私は、そんなささいなことではあっても、神仏という存在に対してはこれからもそのような気持ちで接していきたい、と思っていますお願い

                               


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                              7年目の黙とう。震災鎮魂

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                                東日本大震災から7年目を迎えた2018年3月11日。

                                私の地元福島でも、各地で追悼式が行われました。

                                 

                                あれから7年・・・

                                 

                                狄椋夘興を合言葉に、苦しい状況の中でも地域住民が一致団結して助け合い、そして励ましあいながら今日まで過ごしてきた日々。

                                 

                                少しずつ復興の兆しが見え、月日とともに震災の恐怖が徐々に和らいできたとはいえ、いまだに約7万3000人の方々が避難生活をしいられている状況にあります。

                                 

                                これまでの震災史上でも類を見ないこの大震災。

                                 

                                しかも「福島」という、世界の注目を浴びたこの地へ、なぜ私は生まれてきたのだろうか・・・と、ふと思うことがあります。

                                 

                                スピリチュアルの世界観でよく言われることは、

                                 

                                「自分の人生は、あらかじめ自分が計画を立てて生まれて来る。

                                 その地に生まれることもまた、自らが決めたことなのである」

                                 

                                という一つの定理が、ほぼ常識的概念として、スピ系論者をはじめ精神世界に視点をおく多くの方々が口にするといっても過言ではないでしょう。

                                 

                                しかしその世界観の真意については、どのような方法を用いてもこの物質世界においては証明することができないものでありますが、少なくとも何かしらの大きな意味があって人生を学んでいる、ということに間違いはないでしょう。

                                 

                                そう思うと、たった一つの学びであっても、言葉では言い表せない何という深くて尊い教えが含まれているのだろうか、ということに気がつくことができます。

                                 

                                この学びをこれからも大切にしていきたいと思います。

                                 

                                そして何よりも、

                                 

                                犠牲となられた多くの魂たちに、

                                 

                                ここに黙とうを捧げたいと思います。

                                 


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                                高波動を発するザギトワさん

                                0

                                  爛競トワ瓩気鵑畔垢い董△垢阿縫團鵑箸る方が多いことでしょう。

                                   

                                  冬の祭典として開催された2018年平昌オリンピック。

                                   

                                  世界中が盛り上がりを見せた中でこのたび閉幕を迎えたわけですが、フィギアスケート女子に出場したロシアのアリーナ・ザギトワさん。若干15歳でありながら、見事に金メダルを獲得した選手です。

                                   

                                  最近のニュースでは、ザギトワさんへ狃田犬瓠併鵝砲贈られることで話題となり、その犬の名前には「マサル」と名付けるということです。

                                   

                                  雌の犬なのに、マサルという男の子のような名前にするのはなぜなのか?というその理由は、まあ単純に「マサル・勝る」ということで、勝負に勝つということからそのように名付けるそうですね。

                                   

                                  そんなことをニュースでやっているのを、何気なくみていた時のことでした。

                                   

                                  私自身でもいまだにその謎が解明できない、私の奥に眠る「ニオイの共感覚」が突然、自動的に発動したのです。

                                  (私自身のニオイの共感覚については、こちらの記事をご覧ください)

                                   

                                  私「…⁉何だこの子は…いま、ものすごくパワーの強いニオイが入ってきた」

                                   

                                  ※ここで言うパワーの強いニオイという中身を少しでもわかりやすく表現すると、特に

                                   若くてエネルギッシュな人に多く見られる、相手にパワーを一閃的に送るかのような

                                  (迷いが無くて自身にあふれていますが、しかしその若さゆえまだ恐れを知らない様子)

                                   生命力にあふれたもの、という意味に近いことです

                                   

                                  ええ、実はですね、私はそれほど平昌オリンピックをみてませんでした…

                                   

                                  ザギトワさんを知ったのも3月に入ってからで、秋田犬保存会の方がザギトワさんに秋田犬を贈呈するということをテレビでやっているのをみて、初めて知りました(遅

                                   

                                  テレビでザギトワさんを一目みた時に、とても高い波動で人々を元気にする子だな〜と思いました。まさかその子が金メダリストだったとは…

                                   

                                  やはり、そういう高い素質を持っている人は、自ら発する波動もきっと高いものを持っているのでしょうね。これからもご活躍を期待していますグー

                                   


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                                  夢に出てきた「死者の書」 part

                                  0

                                    《part,呂海舛蕁

                                     

                                    前回は、エジプトとチベットの両方の死者の書について、内容を書いてみました。

                                     

                                    さて今回は、私の夢の中に出てきた死者の書とはどのようなものだったのかと、私自身に関するエジプトとチベットの関連性について書いてみたいと思います。

                                     

                                    まず、夢の内容についてですが、最初に出てきた場面は周囲が薄暗い部屋の中でした。

                                     

                                    この部屋には、はっきりとは識別できませんでしたが、どうやら私のほかに3〜4人いるようで、みな静かに、何も話さずにその場所に立っていました。

                                     

                                    ふと前を見ると、全体的に赤黒い表装が施された一冊の分厚い本が、目の前に置かれていたのです。

                                     

                                    その表紙には、日本語で「死者の書」と書かれていましたが、実際の本には日本語で書かれていたのではなく、私では理解できない、どこの国のものなのかわからない言葉で書かれていたものを、私の心が瞬時に訳し、死者の書という言葉を表紙に浮き上がらせていたのです。

                                     

                                    私「死者の書…?なんだろうこの本は。中を見てもいいのかな…」

                                     

                                    この夢を見た当時の私は、この世に死者の書というものがあることすら全く知りませんでしたし、この言葉だけをとって見れば、何とも怖くて不吉なイメージしか沸きませんが、しかしそういった嫌悪感や拒否的なイメージはここではほとんど伝わってきませんでした。

                                     

                                    わざわざ物差しで測らずとも見た目だけで10cm以上はあるだろうというほどの分厚い本に触れ、おおよそ本の半ばあたりに指をかけた私は、果してこの中身を見てもいいのだろうかという躊躇する気持ちがある一方で、一体何が書かれているのかを早く知りたいという気持ちも併せ持っていたため、思い切って本をめくってみました。

                                     

                                    私「…うわ、字がびっしり書かれている。この文字、全く読めない」

                                     

                                    この文字は一体何語なのだろうかということすらも理解できなかった私は、それと同時に、今の自分には知る必要が無いものだということも感じ、しばらく中身を眺めてから、開いたページをそっと閉じました。

                                     

                                    ここで私は目が覚めました。

                                     

                                    この本をパッと見てもう一つ思ったことは、どうやら教義的・教導的」とも言えるような内容が書かれているもののようだ、という感覚を心が感じ取っていたことです。

                                     

                                    文字は読めませんでしたが、心ではしっかりと何かをくみ取っていたようです。

                                     

                                    また、エジプトとチベットとの私の関連性ですが、以前に著名な女性チャネラーの方のセッションに参加したことがあり、そこで言われたことは、どうやら私は過去世において、エジプトとチベットに生まれていた時代があるとのことです!

                                     

                                    さらにその時に、それぞれの時代で、あなたはこういう人だった、ということまで告げられたことがあるのです。

                                    ※このチャネリングの様子については、いずれご紹介したいと思います

                                     

                                    夢に出てきた死者の書と、エジプト・チベット両方との過去世の関係性…

                                     

                                    永遠なる魂が織りなす、不思議な運命の絆を感じることができました。

                                     


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                                    夢に出てきた「死者の書」 part

                                    0

                                      私は数年前から、日記帳と呼べるほどのものではありませんが、何か気になったことを雑記ノートに書き連ねています。

                                       

                                      当ブログの はじめに でも書きましたように、私がこれまでに体験してきた不思議な出来事を書き綴った『不思議体験記』をまとめ上げた際にも、この雑記ノートを参考にして、その当時の出来事をなるべく詳しく思い起こしながら体験記を書き上げました。

                                       

                                      しかしその中で、記事を書く際になかなか構想が浮かんでこない出来事や、それとは逆に「これはおもしろそうな内容になるな」と、頭の中でイメージをしていたにもかかわらず、なぜかその後に完全に忘れ去ってしまい、ふとしたきっかけをもって突然に思い出したものなどがあります。

                                       

                                      先日も、今から5年以上前に書いた雑記ノートをパラパラめくっていると、そこには「昨日見た夢は、死者の書と題された本だった」ということが書かれていたんです。

                                       

                                      私「死者の書…?え、こんなこと書いたっけ…?」

                                       

                                      と、ノートに記入していたことを完全に忘れていたわけです(ええ、こんなことはいつものことです ちゅん)。

                                       

                                      死者の書とは、古代エジプトにまつわるものと、もう一つはチベットのものと二つが知られています。

                                       

                                      まず、エジプトの死者の書とは、死者を葬る時に、死後の平安や復活を願ってヒエログリフ(聖刻文字)で書かれ、単色または多色の色彩を施した挿絵を添えて死者とともに副葬された巻物(パピルス)のことを言います。

                                       

                                      エジプト文明が最も栄えたと言われる紀元前16世紀以降の新王国時代に経文に書かれたもので、エジプト人は死後に、死者を導くアヌビス神によって生前の行いについて数十か条にも及ぶ審問を受けねばならず、その後に初めて復活の神オシリスによって次なる命を約束され、来世の幸福を手に入れるとされています。

                                       

                                      一方、チベットの死者の書とは、8世紀の終わりごろにチベットに密教をもたらしたパドマサンバヴァという人物が著したもので、その経典を地中などに隠し、将来的にテルトン(埋蔵経典発掘者)によって適切に発掘されることで再び世に出るとされた埋蔵経法(テルマ=隠された宝)に属する、チベット仏教ニンマ派の経典のことを

                                      言います。

                                       

                                      「バルド(バルドゥ)」という、独特の死後の世界観(精神世界の観点において、中間世と呼ばれる一つの世界観。魂が人間として転生する際に人生計画をする場所とも言われている)が存在し、チベットの死生観においては次に生まれ変わるまでに最長で49日間あるとされています。

                                       

                                      そのため、死者の魂が誤って迷いの世界に生まれ変わらぬよう、そして解脱できるように死に臨む人の耳元で、49日間にわたって僧が経典を読むのです。

                                       

                                      同じ死者の書とはいえ、それぞれには時代背景にともなった深い意味が存在していることを改めて知ることができました。

                                       

                                      これでも説明文は要約していますが、結構長くなってしまいましたので、夢で見た死者の書の中身と、その後に判明したエジプトとチベットについての私自身の関係性について、次回の part△膿┐譴討澆燭い隼廚い泙后

                                       


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                                      世界各地で観測された皆既月食

                                      0

                                        1月31日は、もう皆さんもご存じ、長いネーミングで日本中をわかせた「スーパー・ブルー・ブラッドムーン」でしたね!

                                         

                                        特に説明はいたしませんが、さすが宇宙のなせる業、と言えますね。

                                         

                                        とりあえずは、手持ちのデジカメで撮影してみました。

                                         

                                        DSC00430.JPG

                                        皆既月食が始まる前の月です。夜景の月を三脚も使わず、デジカメのズームを

                                        目いっぱいにして撮ったところ、意外にもこんなにきれいに写りました。

                                         

                                         

                                        そして、注目の皆既月食がこちら↓

                                        DSC00432.JPG

                                        ブレっブレ(笑)。ちょっと何コレ、さっきと全然違う。躍るように揺れ動く月。

                                        デジカメが、少しでもピントを合わせようと努力する気配が全く感じられません 泣

                                        でもまあ、なんとかブラッドムーンは見えるかな、といったところです。

                                         

                                         

                                        DSC00436.JPG

                                        少しずつ、月がもとの姿を見せ始めました。宇宙の神秘よ、どうもありがとう!

                                         


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                                        • イケメン風のオオカミのような雲を見つけまして。
                                          クニ
                                        • イケメン風のオオカミのような雲を見つけまして。
                                        • 誇れる姿があればこそ
                                          クニ

                                        ◎サイト内を検索できます

                                                

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                                        桜井識子の星座占い 神様が教えてくれた、星と運の真実
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                                        桜井 識子
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                                        神仏をいつも身近に感じるために~心澄ませ、気運を高める~
                                        神仏をいつも身近に感じるために~心澄ませ、気運を高める~ (JUGEMレビュー »)
                                        桜井識子
                                        川崎大師の貫主をはじめ圓能院住職、於菊稲荷神社宮司などによる読経や真言が収録。本物の真言を授かることができる